人が死に向かうとき

とある日の早朝、母からの電話で起こされたことがあります。数年前のことです。一人暮らしの叔母が亡くなったのです。一人では日常生活のいろんなことができなくなっていた叔母は、ホームぺルパーの生活介護を受けていました。

ホームぺルパーの人が訪れたときに応答がなく鍵がかかったままだったので、 不審に思い叔母の娘に連絡したそうです。彼女(従姉妹)が入ったら、叔母は床に倒れ、既に息絶えていたそうです。

この10年で3人伯母・叔母が亡くなりました。伯父の妻も入れれば4人になります。 皆70歳から80歳ほどだから、年齢的には早死にとは言えませんが、日本人女性の平均寿命86歳からすれば、少し早かったと感じます。

父の死が10年以上前になるので、70代後半から母は、近親者を相次いで6人も亡くしました。少し遠縁の親戚や友人知人を含めれば、10名ほど近い親しい人を亡くしています。 母は気丈な人だから、表面的にはことさらに落胆した様子は見せませんが、心の中では隙間風がビュービュー吹いていたことだろうと思います。

その空虚感、一人暮らしの孤独もあってか、80代に入ってから認知症になりました。地元密着の仕事をしているので、母との同居は果たせませんでした。すまないと思ってます。

人が死ぬ理由は様々ですが、近しい叔母たちを見ていると、思い通りの人生でなかったこと、子供が遠くへ引っ越したり、先に亡くなったりしたことによる、深い喪失感が陰にあることが感じ取れるます。

そのような理由や状況の変化で、自己の存在意義が無くなってきたと感じたとき、自己の存在理由が感じられなくなってきたときが、生存の危機のように思います。

やるべきことはやりつくしたと感じたときや、長年の努力の結果、全ての目標が実現し幸福の絶頂とも言えるときも危ないという人もいます。

生きるということは、不足を感じ、それを満たしていくことだと思います。自分に欠けているものや欲しいものがあり、それを得たい、満たしたいという意欲があるから、人をはじめとした生物が生きていけるのだと思います。

不足、欲と言ってもいいですが、満ち足りすぎて全ての欲や不足感を不充足感を失ったときや、満たされてはいないが生きる意欲がなくなったとき、人は自らゆっくりと、しかし確実に死に向かって歩みはじめるのでしょう。、

相次いで亡くなった叔母たちの晩年の数年間を観ていると、そう思います。


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価値観・考え方

Posted by desk@toiee.jp