脳死と救命

以前、英国人女性が脳死と診断されてから2日後に、未熟児ながらも健康な女児を出産したという記事を読んだことがあります。

脳死を人の死と定義する前提としては、人口呼吸などの装置で、脳が機能しなくなり自発呼吸ができなくなっても、医療技術で心配機能などは維持できるようになったということがあります。

そのような救命処置は、当然、人をできるかぎり「生かしておきたい」という医療行為の原則に沿って開発され実施されています。

しかし「脳死」を(「も」かも知れないが)人の死として認めるという考え方は、上記のような救命処置をある意味で否定するものであり、(脳以外の)肉体の活動を生きているとは認めないということでもあると思います。

このように、脳死と上記のような救命処置は、表裏一体の関係にあるにも関わらず、脳死を認める考え方と人工心肺などの救命処置の考え方は矛盾をはらんでいるともいえるのです。

ではなぜ、「脳死」という概念が必要とされるのでしょうか?

一つには、意識のない(と思われる)人が、本当に生きているといえるのだろうかという疑問。

二つ目は、人工的には生かしておけるが、いつまでその状態を維持しなければならないのかという、医療関係者と患者の家族の経済的な思惑が絡んできます。

三つ目は、臓器提供の問題です。

脳死が認められないと、臓器提供が必要な移植手術はほとんどできなくなるのです。

個人的には、人の内臓をもらってまで生きたいとは思いませんが、それを望む当事者にとっては、脳死判定は死活問題となります。

しかし、脳死と判定されても、出産できると知れば、安易に脳死判定などしてもらいたくないと思うのは自然だと思います。

ごく単純に考えれば、脳が回復不能にまで破壊されたり、機能しなくなったりしてまで、人工的に生かすことはないという考え方をするならば、回復が見込めない状態での救命処置は、すべきでないということになるでしょう。

逆に、体だけでも生きているのなら(生かしておけるなら)救命処置はすべきだという考え方をするなら、脳死判定をして途中で「殺す」ようなことはすべきではないと考えます。

ドナーカードは、臓器移植を認めるなら、当然必要なものだと思いますが、かといって以前CMでやっていたような、臓器提供することが善行であるかのような押し付けはすべきではないと思います。これは死生観に関わる問題で、善悪やモラルの問題ではないからです。

自分の体くらい、自分の自由意志で処理したいと思うのは当然だと思います。これは基本的人権以上に基本的なことだと思います。

臓器不足がたまに報道されますが、そのために十分な救命処置を受けられないようなはめに陥りたくないという気持ちがあります。

臓器提供を受けなければ生きられない状態でない状況に、自分も家族も置かれていないからいえることかも知れませんが、僕はその状況になったとしても、臓器提供は受けないつもりです。


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医学・医療

Posted by 小林昌弘