自己流輪廻転生論 – 病院や薬に頼らず健康で安心して暮らす為に – 川越の整体…病院・接骨院・鍼灸院で治らない方もご相談ください!

「ベルリン 天使の詩」という映画を20年以上前に観ました。そのときの台詞で心に残っていて離れないものがあります。

「君はどうして君で、僕ではないの?」

昔のことなので、記憶している通りの台詞ではないと思いますが、このような意味の言葉がナレーションのように聴こえてきて、頭から離れませんでした。

これは君が君であるのはなぜ?と聞いているようにも思えるし、自分と相手ははたして完全に別の存在として分けることができるのかと問いかけているようにも思えます。

生まれ変わり、前世が、スピリチュアル・ファンの間では人気のテーマですが、自意識、人格の継続性という意味では、そんなものは有りえない、観念の世界のファンタジーだと思っています。その一番の根拠は、自分に過去生の記憶がないからです。忘れている、思い出せないからだと言われても、簡単には納得はできません。

ですが、「僕は僕であって、なぜ君ではないのか?」と問われたとき、自分の現時点での人格や自己意識が拡散していくのを感じます。魂やエネルギーのレベルでは、その二つの人格、自意識を峻別する理由はないからでしょう。

世界は一つの巨大なエネルギーだと考えれば、生まれた環境や時代、肉体特性によって、自意識は、ある一定の幅の中で決まってきますが、それが誰それ固有のものと考える必然性など、世界認識レベルでは全くないような気がします。

そのような一つの条件設定で決まる人格が永遠に続くという考えは無理が有りすぎだし、人格が替わりつつも、その人格(魂)固有のエネルギーや記憶が他者や世界全体と共有もせずに継続するというのは、単に、今の自分の自意識が肉体の死で消滅する恐怖から逃れたいからに過ぎないという気がします。

自他の区別など、社会生活を送る上で便宜上必要なだけで、おそらく時代を遡るにつれて、自己意識は希薄だったのではないかと思います。共同体の一員としての意識は大切だったでしょうが、個人の意識など、数百年、数千年、数万年前の人類にとって、それほど重要でなかったと思います。人間以外の動物は、自分の他の存在を、それほどはっきりと分けて意識してないのかも知れませんし。

僕が君であってもいい。僕が君の置かれている状況や人格と置き換わっても、君が僕になったり、別の人になるだけの話で、誰が誰でこれが永遠に固有の人格だなんてことは、おそらくそれほど重要な意味がないのだと思います。

テレビの画面に移っている見知らぬ国の少年は、自分が彼の立場だったかも知れません。そう感じることができれば、他人のことなどどうでもいいという意識は、世界から孤立している証拠だと思います。

人類の現代の問題の根本は、おそらく自他を峻別し、自分と他者を利害が対立する存在として認識するところから来ているような気がします。


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